海に出ると、自分の都合がほとんど通用しない。
風も、潮も、魚の動きも、こちらの予定には合わせてくれない。
昨日よく釣れた場所に行っても、今日は何も起こらないことがある。
同じ時間、同じ仕掛け、同じような天気に見えても、海の中はまったく違っている。
できるのは、その日の海を見ながら準備をして、何かが起こる瞬間を待つことだけだ。
釣りを長く続けているうちに、待つことは、何もしないことではないと分かってきた。
むしろ、動かずに見続けている時間のほうが、多くのことを教えてくれる。
釣りは、ずいぶん長く続けてきた。
川でのフライフィッシングやテンカラ、ブラックバス、海でのジギングやタイラバ、マルイカ。
釣り方も場所も違うけれど、どの釣りにも共通していることがある。
自分の思いどおりにはならないということだ。
魚がそこにいるのか。
仕掛けを見ているのか。
見ていても食べる気がないのか。
こちらからは、ほとんど何も見えない。
見えないものを相手にしながら、風や水の色、潮の流れ、竿先のわずかな変化から、海の中を想像する。
手応えがない時間が続くと、どうしても何かを変えたくなる。
場所を変える。
仕掛けを変える。
動かし方を変える。
もちろん、変えることが必要なときもある。
けれど、焦って動き続けていると、本当は何が起きているのか分からなくなってしまう。
少し待ってみる。
同じ場所を、もう少し見てみる。
その時間があるからこそ、先ほどまで気づかなかった変化が見えてくることがある。
待つという言葉には、何もせずに時間を過ごすような印象がある。
けれど、海での「待つ」は、ただ止まっていることではない。
風向きが変わっていないか。
船の流れ方が変わっていないか。
水面の様子に違いはないか。
竿先に、それまでとは違う動きが出ていないか。
目に見えるものだけでなく、音や身体に伝わる感覚も含めて、周囲を見続けている。
何かが起こったときに、すぐ反応できるように準備をしながら待っている。
だから、待っている時間にも、静かな集中がある。
外から見れば、ただ竿を持って海を眺めているだけかもしれない。
けれど本人の中では、いくつもの小さな判断が続いている。
動くべきか。まだ待つべきか。
今の違和感は、気のせいなのか。
海は答えをすぐには教えてくれない。
だからこそ、答えを急がずに見続ける目が必要になる。
釣れない時間が続くと、不安になる。
自分だけ間違っているのではないか。
もっと早く別の方法に変えるべきだったのではないか。
撮影の現場でも、似たような感覚になることがある。
なかなか表情がやわらかくならない。
思っていたような場面が起こらない。
時間だけが過ぎていく。
そんなとき、撮る側が焦ると、その焦りは相手にも伝わる。
もう少し笑ってください。
こちらを向いてください。
今度はこうしてください。
言葉を重ねるほど、人は自分の表情を意識し始める。
自然な姿を撮りたいはずなのに、撮る側が自然な時間を壊してしまう。
海で覚えたのは、答えを急がないことだった。
すぐに結果が出なくても、今はそういう時間なのだと受け入れる。
何かを起こそうとするのではなく、起こるかもしれない変化に気づけるようにしておく。
その姿勢は、人物を撮るときにも、現場を撮るときにもつながっている。
撮影が始まると、多くの人は少し緊張する。
カメラを向けられることに慣れている人は、それほど多くない。
普段どおりにしてくださいと言われても、普段どおりにはできない。
手の置き場所を気にしたり、姿勢を正したり、急に笑顔をつくろうとしたりする。
そんなとき、私はすぐに撮り始めるのではなく、少し話をすることがある。
仕事のこと。
最近あったこと。
その場所で普段どのように過ごしているのか。
特別な答えを引き出したいわけではない。
その人が、カメラを意識した状態から、少しずつ普段の自分に戻っていくのを待っている。
話をしている途中で、肩の力が抜けることがある。
誰かの言葉を聞いて、ふっと表情が変わることがある。
撮影用につくった笑顔ではなく、その人自身の表情が戻ってくる瞬間がある。
その瞬間を、こちらの都合で早めることはできない。
ただ、見逃さないように待つことはできる。
工場や会社を撮影するときも同じだ。
現場には、こちらが入る前から流れている時間がある。
作業を始める順番。
人と人が声をかけ合う間。
機械の動く音。
仕事に集中しているときの表情。
撮影のためにすべてを止めて、こちらの指示どおりに動いてもらえば、形として整った写真は撮れるかもしれない。
けれど、それだけでは、その会社に普段流れている空気までは写らない。
私はまず、その場所の時間に自分を合わせるようにしている。
人がどう動くのか。
どこで立ち止まるのか。
どんなときに会話が生まれるのか。
しばらく見ていると、その現場らしいリズムが分かってくる。
すると、次に何が起こりそうなのかを、少しだけ予測できるようになる。
海の中は見えない。
人の心も、現場に流れる空気も、すべてが見えるわけではない。
けれど、見えないからこそ、周囲に現れる小さな変化を見逃さないようにする。
写真を撮る仕事をしていると、シャッターを切っている時間だけが仕事のように見えるかもしれない。
けれど実際には、撮らずに見ている時間のほうが長い。
光が変わるのを待つ。
人の動きが重なるのを待つ。
表情から力が抜けるのを待つ。
その場にいる人たちが、カメラの存在を忘れるのを待つ。
シャッターを切らない時間は、何もしていない時間ではない。
撮るべき瞬間を見つけるための時間だ。
そして、待ったからといって、必ず思いどおりの場面が訪れるわけではない。
海と同じように、最後まで何も起こらないこともある。
それでも、無理につくった瞬間より、その場所で実際に起きた小さな変化を写したいと思う。
派手な出来事でなくてもいい。
人の手が自然に動いた瞬間。
誰かの言葉に、隣の人が少し笑った瞬間。
仕事に向かう目つきが変わった瞬間。
そうしたものは、一瞬で通り過ぎていく。
待つことを知らなければ、気づくこともできない。
海では、自分が中心ではいられない。
天候や潮、魚の都合に合わせながら、自分の動き方を決めていくしかない。
自然を思いどおりに動かすのではなく、自分のほうを合わせていく。
その感覚は、撮影の仕事にも深く残っている。
人をこちらの思いどおりに動かそうとしない。
現場を撮影のためだけの場所に変えすぎない。
すぐに答えを求めず、まずは見ている。
私にとって待つことは、消極的なことではない。
相手を信じることでもある。
その人らしい表情が現れること。
その場所らしい時間が流れ始めること。
見えなかったものが、ふと姿を見せること。
こちらが少し黙り、少し待つことで、初めて見えてくるものがある。
海で覚えたのは、魚を待つ方法だけではなかった。
思いどおりにならないものと向き合いながら、変化が訪れるまで見続けること。
そして、その瞬間が来たときに、迷わず手を動かすこと。
その「待つ目」は、今も撮影の中にある。
Photographer
Videographer
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